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僕は忘れない、あの日のことを

140字では伝えられない。

誰かにとって何者かであるということ

散々人から勧められていた輪るピングドラム、ようやく見ました。

ちょっと最後は意表をつかれたのですが、それは後で書きます。

ただただ面白かった。前半のギャグ感からシリアスにシフトしていく感じはなんとなくSteins;gateを髣髴とさせましたね。

 

すっげえネタバレというか、未視聴の方はてんで分からない感想になりそうなので、見てない方は今すぐブラウザバックしてくれ。いや視聴直後の熱そのもので書いてるから見てても支離滅裂でわけわからんかも。すまんかった。

 

 

 

作品の主要キーワードになっているのは、「きっと何者にもなれない」「生存戦略」「運命」の三つですよね。

 

きっと何者にもなれない、というのはtogetterとかで色々解釈があったのを見たのですが、僕は「運命を変えられない」ということかなあと思いました。何を持って運命というのかは難しいなあと思うのですが。「何者にもなれない」と対比されるだろう「特別な存在」と称されたのは、(一回しか見ていないので聞き逃しがあるかもしれませんが)多蕗が桃果を称して言ったのくらいです。そして彼女はそういう意味では本当に「特別」です。ただ、重層的に才能のある人、有名人という意味でも使われているんですかね。よく分かりませんが。トリプルHの話であったり、多蕗とゆりの話であったり。

 

作品の序盤から13話くらいまで、荻野目苹果というとんでもないストーカー女の話を中心に進みますけど、荻野目苹果は「何者にもなれなかった」普通の人です。彼女は荻野目桃果ではないから、多蕗桂樹と結ばれることもないし、父を荻野目家に繋ぎとめることもできない。でも彼女は、高倉晶馬とのかかわりの中で、自分が荻野目苹果であるということを納得して、そして荻野目苹果としての人生を歩むわけです。日記を追う必要がなくなったように。再婚した父を祝福したように。そしてそれがきっと「生存戦略」なんですよ。運命を本当の意味で受け入れるということ。

そういう不幸を運命だって受け入れるのはとても辛いこと。でもあたしはこう思う。悲しいこと、辛いことにもきっと意味はあるんだって。無駄なことなんて一つもないよ。だって、あたしは運命を信じているから。

 

 

荻野目苹果は荻野目桃果ではないように、自分は自分の人生をやめることは出来ません。なんで(病に侵されたのが)陽毬だったのかという叫びは、それが運命だったからとしか言いようがありません。こういうの、渡瀬眞悧の言い方をすると『自分という箱から逃れられない』でしょうか。でもそれを呪ってしまうのは「生存戦略」から離れるというのが見ていて思ったことですね。

 

この構造は形を変えてなんども現れていたと思っていて、運命を呪っている人、過去に捉われている人々は揃って「罰」を受けています。一度は死んだはずの高倉陽毬を救おうとする高倉家の兄弟二人は言うまでもないし、世を呪い続けた高倉剣山も死んでいる。過去に捉われていた多蕗桂樹も時籠ゆりの代わりに刺されるわけです。ゆりは最終的に苹果に日記を返していますよね。桃果の死を受け入れて未来に進もうとしているから、彼女は罰を受けなかった。多蕗は「罰」を受けるけど、彼も桃果の死を納得してゆりと共に人生を歩もうと改心をしたから、大事には至らない。最後まで死すべき運命だった陽毬を生かそうとし続けた冠馬と晶馬は消滅をしてしまう。

 

最後に多蕗が言うように、ほとんど全ての人間は何者にもなれません。むしろ、万人にとって特別な何者かである桃果の方が異常な存在です。でも何者にもなれない人も、誰からも選ばれない、存在価値のない「透明な存在」であるわけではありません。誰もが誰かにとって特別な存在であり、それを象徴する言葉が「運命の果実を一緒に食べよう」であり、「愛してる」であり、「だから私のためにいて欲しい」なのかなあと。誰かにとって何者かであるから、運命を少しずつ変えていくことができる。そうして世を生きていくんだよとかそういうところに話は落ち着いたのかなあと思いました。

 

 

でちょっと脱線すると、ちょっと意表をつかれたと書いたのは、僕は陽毬は一話の時点で既に死んでいた存在だと思っていて、死んだ存在(陽毬が眞悧にあたし治らない・死ぬんでしょ、に死なないと返したのは既に死んでいるからだと思ってました)だから生き返らないと思っていたのですよ。兄弟二人が陽毬の死という運命を受け入れてこれからの人生を生きていくのが「生存戦略」じゃないかなーって思っていたので、最後までそれを否定し続けて消滅しちゃうのはちょっと予想外だったわけです。

 

でも書いてるうちにこれはこれでってなりました。高倉家の三人がそれぞれに「特別」だから、陽毬の運命を乗り換えることができた、と納得してしまいましたね。(ガバガバ論考)

 

 

なんとなくですけど、思い出したのは大高忍『マギ』なんですよね。運命に逆流すると堕転してしまうでしょう。あれです。アリババとカシムの話とか完全にピングドラムだったのでは。(記憶改竄)あとはバガボンドの「人の一生はあらかじめ定められていて、それでいて完全に自由」という奴。なんとなく近しい運命感を感じましたね。まあこれはなんとなくなんですけど。