僕は忘れない、あの日のことを

140字では伝えられない。

宇宙の中心にあるもの

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12月31日公開というチャレンジングなことをした映画『MERU』を見ました。

まあチャレンジングなのは公開日だけではなかったわけですよ。

 

MERUは、未踏峰だったヒマラヤ山脈のメルー中央峰、通称「シャークスフィン」と言われる標高6250mの山に挑む三人の登山家のドキュメンタリー。ドキュメンタリーという点が大切で、クライミングシーンにCGは一切ない。要は全てセルフィで撮っている。撮影者はジミー・チンとレナン・オズターク。そのため映画の迫力は圧倒的で、挑むもののの巨大さ、自然の美しさ雄大さを余すところなく映し出している。まあ広告ポスター写真も出来が良すぎるからわかるでしょ。あとはとりあえずこれを見てくれ。

 


12.31公開 映画『MERU/メルー』未公開シーン 特別ムービー

(高いところが苦手なのでめっちゃ身が竦みました)

 

登山は多くのものを与えてくれる。しかし安全が保証できない以上、登山は正当化できない。

この映画の良いところは単に登山のことを美しい映像で流したということではなくって、三人の挑戦者――コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの三人――がそれぞれ迷いや躊躇いがありながらメルーに挑んでいくという、人間を描いた物語であるところだ。コンラッドは師も友人も山で失っているし、ジミーはメルー兆戦前に九死に一生を得ていて、自信を失っていた。

 

その中でもレナン・オズタークは壮絶で、挑戦の半年前に大怪我を負い、元のように動けるかどうかさえわからなかった。その上、今後は高地では脳梗塞になる可能性があるという。コンラッドやジミーとしても、そういう不安要素を抱えた人間をチームに加えることで、チーム自体が危険になる可能性も考慮しなければいけない。それでもレナンはメルーに登ることを諦めないし、二人もそれを止めようとはしなかった。

 

ジミーはインタビューでこう話す。

登山家やプロの写真家として人生の大半を山に捧げてきた私は、いつも思っていました。高地でのビッグウォール・クライミングの過酷さを、観客の皆さんが本能的に感じ取れるような映画を作りたいと。そこにはどんな見返りがあり、どんなリスクや犠牲が伴うのか、少しでも多くの人に知ってもらいたかったのです。
それと同時に、情熱の追求は必ずしも美しいものではないということも伝えたかった。そこには葛藤や、迷いや、苦しい妥協が溢れている。

 

個人的には、何故山に登るのかという問いに対する答えをこの一本の映画に収めようとしているのではないか、というように感じた。大きなリスクや犠牲があり、葛藤や迷いがある中で、どうして誰も登頂できなかったほど危険で困難な山へ登ろうとするのか。

 

きっと彼らは自分の能力や精神力・仲間への信頼を厳しく問われる山との戦いの中でこそ、自身の能力や絆に確信を持つことが出来るし、「いま生きている自分」を実感することができるのだろう。困難であればあるほど己の限界が強く試され、打ち勝つことが出来ればより自信を深めることが出来る(決して過信ではなく)。

逆に失敗は自分の能力への思いの揺らぎを意味する。でも山で失ったものは山に勝つことでしか取り戻せない。だから彼らは何度でも挑戦するのだ。