僕は忘れない、あの日のことを

140字では伝えられない。

感想文の難しさ/思い出したようにブログを更新する理由

なんでブログはじめたのといわれるとまあ140字以上書きたいことがあったからなんですが、かといってそれを書き終わったらそれで終了というのもちょっともったいないので少しは有効活用しようという話なんですね。

 

それで何を書こうかなあとなったとき、敬愛すべきブログ先輩こと宇宙、日本、練馬に倣って映画やら本やらの感想を書こうかなとなったわけですね。(更新頻度の高い良いブログです!)(ものすごい馴れ合い方だ)

 

といっても僕は読書感想文の類が死ぬほど苦手だったので毎回苦慮します。

自分が作品の本筋からかなり離れた感想を抱いていると思うことは結構あって、だけどそれを修正してしまうとそれお前が文章を書く必要あるのという話になってしまいます。このブログを見る以上、恥ずかしいことに見に来るのは僕の感想なわけですよ。他の誰かのものではなく。とすると、その作品のバックボーンや理屈から言って作品が伝えたかったことが何であるか下手に推察するより、お前がどう思ったのかの方が、今この場においては重要なことじゃないの、となるわけですね(もちろん作品の本質から離れないところで感想・意見を綴った文章は無数に存在していて、こういうのが"良い"感想文なのだろうなと思います)

 

でも、虚心にそれを書くのは結構な訓練が必要だと思うのですよ。

「ビジネスの世界の論理といのちの電話の世界って、全然違うことが分かったんです。研修では『自分の気持ちは何ですか?』という訓練をやるんだけど、最初は自分の気持ちを全然出せなかった。ビジネスの世界では、自分の気持ちは置いておいて『事実はどうなんだ?』ってやる。ここの研修はそうじゃない。『あなたはどう感じたの?』ってずっと聞かれます。それまでは自分の気持ちに蓋をして生きていたから、最初は苦しかった」

 引用元:なぜ、あなたの声を聴き続けるのか 「いのちの電話」相談員 - Yahoo!ニュース

 

国語教育の敗北というのは流石に言いすぎですけど、とても成績の良かった(謙虚な表現)僕にとっては現代文というのもなんて書いてあるのという話になっちゃうんですよね。センター試験とか全体的に最大公約数の回答を選ぶ感じですものね。でもそれはここで求められる能力ではありません。

 

僕はどう思ったのか。これを書くのも訓練が必要だし、そもそも自分がいつ・どういう感情を抱いたのか・なぜ抱いたのかと感性を研ぎ澄まさなければいけないですよね。

 

日常生活でこういうことをする経験はあまりないので、まあこの場を借りてやってみたいわけです。訓練しておけば人に本や映画を勧めるときにちょっと得をするかもしれませんし。と、まあ、そういうことを5%くらいは考えて、すんでのところで放置はやめようと思うわけです。後は文章の構成とか文章力とかちょっとだけでも向上したら良いなあと思いますね。どっちかというとこれは触れる文章(量)に拠るのではと思わなくもないですが。

 

ちなみに残りの80%は惰性です。前に映画見たときも更新ししたしなんとなくね。

残りは見栄。放置ブログって恥ずかしくない?