僕は忘れない、あの日のことを

140字では伝えられない。

以下映画『シン・ゴジラ』を見てから見ろ!!!!!!!

わかったか!?

個人的には大変満足しました。まあ大勢の人間がクソでかい質量に為す術なくばったばった薙ぎ倒される展開そのものが大好きですからね、僕は。

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『知恵は多いに越したことはない』

 

広告の通り、この映画は日本というか人間社会とゴジラが対置されています。進化する完全な一個体であるゴジラと、危機の中で成長する集団・社会という構図です。

 

一度目の上陸をした成長途上のゴジラに対して、日本も初動対応が遅れ、大きな被害を出してしまいます。もちろん会議によって一つ一つ物事に対応していく仕組みは社会をつつがなく回すために存在していて、その枠組みの中で全ての人々が全力を尽くしているのだけど、そういう全力をゴジラは凌駕していたわけです。

 

ゴジラが一度撤退したあと、対応するための仕組み・対応も考えるのだけど、進化を続けるゴジラはさらに巨大化して再上陸し、その対策を正面から粉砕していきます。ここでも人間の集団はゴジラを超えられないわけです。自衛隊の砲撃はまるで通用せず、米空軍の爆撃に対してさらに進化し、放射線流でそのことごとくを撃破します。その威容はまさに「完全な生物」です。霞を食べて生きる仙人と称された画期的な消費性能、空を飛べるようになるかもしれないといわれた無限の進化の可能性。日本どころか人類全ての危機になりかねない、そんな不死身に等しい化物です。

 

そう好き勝手暴れる化物に対して最も進んだ対応策を考案できたのは、人間社会で比較的「好き勝手」できた巨大不明生物災害特設対策本部、巨災対です。好きにする、というのは本作の一つのキーワードになっていて、それは圧力や権力に屈せず全力を尽くすという形になって現れます。不眠不休の努力、狡猾な外交術。

 

もっとも、やっぱり社会は統制を持って動かなければいけないわけで、巨災対の面々がいくらゴジラ対策を考案しても、首相が首を振らなければ自衛隊は何一つ動かせないし、原子爆弾も落とされます。でも首相の好きにする、が原爆を落とされないことだったように、人々の「好きにする」が「ゴジラを倒す」「原爆は落とさない」の二つに結実したとき、有効で被害の少ないゴジラ対策が現実のものになるのです。

 

ヤシオリ作戦はこれまで人間の対応を凌駕してきた完全な一個体だったゴジラが、ゴジラに及ばない生命である人間集団の知恵と協力に上回られる瞬間なわけです。王道です。しかし、ゴジラは消え去ったわけではありません。いや消し去ることは出来ませんでした。

 

エピローグでは、上手くいかなかった対応を鑑みて、機能する集団として国政を立て直すこと、それを志すことが語られます。また、作品の途中で幾度も言われていたように、ゴジラは新しいエネルギー・人間の科学技術の進歩、そういうものに対して大きな可能性を秘めています。それを可能に出来るかもこれからにかかっています。

 

集団が再び烏合になって機能を喪失したとき、社会が凍りついたとき、それはゴジラの凍結が解けるときなのでしょう。最後に映される固まった、しかし今にも動き出しそうなゴジラが見ているのは、未来の人間社会なのです。

 

というところでどうでしょう。

そういえば一度目のゴジラ被害の図は明らかに2011の被害を意識した構図でしたね。

とにかくゴジラが歩くだけで東京の建造物がばったばったとなぎ倒されていくのが良かったですね。ゴジラの方はただ歩いてるだけなんですよ。それで人類は為す術がない。こういうの本当に好きですね。放射線流も背びれからびかーってやる奴とか最後の尻尾の方にエネルギーががーっていってでだーって撃つの最高でしたし。(語彙力)

あとはそうですねー、なんとなく被害を省みない爆撃立案、海からの襲来ということで有川浩の『海の底』を思い出しました。まあもうほとんど忘れているんですが。そういう話じゃなかったですっけ。撃つに撃てないみたいな展開もあったような気がします。


おまけ

矢口「まるで進化だ……」

ぼく(近いのはむしろ変態では? この用法はポケモン的「進化」、もしやポケモンGOにのっかっているのか……?)