僕は忘れない、あの日のことを

140字では伝えられない。

将棋を指すという趣味

こんなペースで記事を書いていたら来週には書くことがなくなってしまう。

でもまあ今回は前回の続きみたいなところがあるので。

 

といっても、将棋を指す楽しさみたいなものを適切な言葉で伝えられる気がしないので、私の将棋遍歴について話します。

 

 

将棋というゲームを知ったのは、たぶん小学二年生くらいの頃だと思う。たぶん父親に教わった。といっても、最初からめっちゃ面白いと思っていたわけではなくって、どちらかといえば回り将棋とか挟み将棋とかそういう将棋盤を使った遊びの方が好きだったように思う。

 

将棋をぼちぼち指し始めたのは小学四年生くらい。父親はそこそこ指せたので、まあ勝てないわけです。でも恐ろしいほどの負けず嫌いだったから、敗勢になるとぴたっと指すのをやめてしまっていた。地蔵流。父親が諦めるまで動かなかった。

 

五年生は多分人生の中で一番将棋を指していたころ。同じくらいの棋力の同級生の友人がいたからだ。あと、小学校に良くある(よくあるよね?)クラブ活動みたいなので僕よりちょっと強い先輩が見つかったのもある。当時の実力はたぶん一番強いときでアマチュア初段くらい。おそらく今とほとんど変わらない。

 

 JTが主催する将棋大会が毎年あるのだけど、それに出たのも五年生のとき。身の回りに強い人がたくさんいたので、子供全体の中の自分の実力をかなり低く見ていたっぽく、なんというか記念みたいなものだった。ところがあれよあれよと決勝トーナメント出場が決まり本当にびっくりした。先の自分より強い六年生と決勝トーナメント一回戦で当たったのも良い思い出だ。そこからはあんまり覚えてないけれど、次の相手が確か扇子で扇いでいて、強そうでいけ好かない奴だから殺すと思ったのだけは覚えている。そいつは決意どおり盤上で殺した。

 

で、なんかベスト4まで進んでしまったのだけど、これは緊張した。なんか指す場所変わって。しかも決勝に出ると羽織着てプロが解説して記録までつくの。ひえー。無理。なお準決勝の結果は角による王手を見逃して王様取られて負けだった。初心者か。(ちなみに今もたまにやる。死)まあ王様取られなくても形勢自体必敗だった。予選で件の僕の友人を破っているので、実力違いだったんだろう。

 

そんな感じで将棋を楽しんでいたのだけど、親の都合で五年の冬に引っ越してからはあまり指さなくなった。というのも、近くに棋力の近い同世代の子がいなくなったからだ。対等に戦える相手は大人だけになっていた。そうなると続かなかった。

 

 

将棋をまた始めたのはここ一年半くらい。将棋観戦はまあまあやっていて、今と変わらずやかましく観戦tweetを連投していたところ、相互フォロワーから誘われてまたはじめることになった。始めた当初の実力はアマチュア10級以下だったんじゃないかなあと踏んでいる。その頃の棋譜見ると酷い手指してて笑うもんね。数年後今の将棋観たらやっぱり同じように笑うのかもしれないけど。そこまで強くなっていたいね。

 

この一年半は将棋熱があるときもあれば、全くないときもあるのだけど、それは大体そういう風に出来た知り合いと指す機会の増減と関係しているように思う。インターネット上にはいくらでも相手がいるのだけど、それは子供の頃の「大人」とあんまり変わらないんだろう。

 

 

ここまで書くと僕は将棋をコミュニケーションツールとして捉えていることが分かる。「友人とゲームをするのが楽しい」の中に将棋が分類されているのだ。将棋には感想戦といって、勝負の後にこれならどうだった、あれならどうだった、ここは自信があったなかったと言い合う文化がある。それに、将棋の指し手自体にも性格は反映されるように思う。優れたコミュニケーションの道具なのだ。

 

もちろん将棋自体も面白いから続けているのであって、その面白さは私にとっては勝負の終わりにある。将棋は逆転のゲーム、とは前回も言ったけれど、それは自分が指すときもそうで、だから終盤は緊張するし、手に汗握る。そしてたくさんの「分からない」を残して勝負が終わったあと、それが感想戦で一つ一つ氷解する。「分からない」とその「なるほど」の繰り返しが好きなのかなあという感じがする。もちろん、こうしていれば勝ちだった、と分かるのは悔しいけれど。

 

 

そんなわけで、是非将棋を指しましょうと声をかけて欲しい。

それから将棋、是非皆さんもはじめましょう。教えられる範囲で、教えます。

一部では僕をサドと呼ぶ向きもありますが、そんなことはないので平気です。

将棋を観るという趣味

渡辺明『頭脳勝負――将棋の世界』を読みました。もう10年近く前の本なんですねえ。

 

棋士は将棋を指すことによってお金をもらっていますが、これはプロが指す将棋の価値を認めてくれるファンの方がいるからです。スポーツ等と同じで、見てくれる人がいなければ成り立ちません。(中略)

確かに、将棋は難しいゲームです。しかし、それを楽しむのはちっとも難しくないのです。「なんとなく難しそう」というイメージで我々のプレーがあまり見られていないとしたら、残念なこと。というわけで、将棋の魅力を多くの人に伝えたい、と思って本書を書くことにしました。

将棋界の第一人者である渡辺明が、将棋初心者向けに将棋観戦の面白さについて、できるだけ平易な言葉で語ろうとした本。対象者としてはルールがわかる、くらいかなあと思う。スポーツとかでも、ルールを全く知らないが見ている層(将棋界でもこういう人たちがわりと増えたようになったと思う)というのは存在するけれど、そういう人にはちょっと難しい内容もありそう。

 

10年近く前の本なだけあって、将棋界を取り巻く状況は本の内容からかなり変わっている。コンピュータソフトはトッププロに少なくとも匹敵・或いは凌駕するような存在になったし、女流棋士は凄く強くなった。奨励会三段(四段からプロ)にも女性棋士は二人在籍していて、女性のプロ棋士誕生まであと少しというところまで来ている。

 

そういう様々な今はこうであるということは抜きにして、将棋の楽しみ方はやっぱり普遍で、この本の内容も昔も今も、そして未来も変わらないのだろうなあと思う。

 

 

 将棋というゲームは「ミスを多くしたほうではなく、最後にミスをした方が負けるゲームである」というところがあって、途轍もなく逆転が多いゲームだ。加えて、棋士たちは技術的にはとても狭い範囲で争っていて、精神面が勝負の行方を大きく左右する。だから対局者の間には多くの駆け引きが生まれる。技術的なこともあるし、「こうされたら負け」と思いながらそうと悟られないように自信ありげに指す、みたいな話もある。

 

そういう一対一の競技らしい駆け引きの妙。分からない中指し手を進める対局者の苦しそうな感じとか、最後の最後に逆転を許して投了までになんとか気持ちを整えようとする感じ。指し手の内容が解説付きなら理解できるようになってくると、少しずつプロの技術力の高さや、踏み込む勇気、諦めない精神力、そういうところが分かってまた面白くなる。

 

そんな将棋の面白さを詰め込んだ本。四章では自身の実際の対局を、そのときはどんなことを考えながら指していたかを書いている。三章まで読まれた方なら、きっと将棋の面白さが伝わるのではないかな、と思った。

 

最後は引用で。娯楽としての将棋観戦はもっともっと広まって欲しいですね。

 例えばプロ野球を見る時。「今のは振っちゃダメなんだよ!」とか「それくらい捕れよ!」。サッカーを見る時。「そこじゃないよ! 今、右サイドが空いていたじゃんか!」「それくらいしっかり決めろよ!」。自分ではできないのはわかっていてもこのようなことを言いながら見ますよね。それと同じことを将棋でもやってもらいたいのです。
「それくらい捕れよ!」と言いはしますが、実際に自分がやれと言われたら絶対にできません。「しっかり決めろよ!」も同じで自分では決められません。将棋もそんなふうに無責任で楽しんでほしい。

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

 

渡辺二冠は文章も上手で、将棋の解説も非常に明晰な聡明な人ですが、私生活では変な人。ぬいぐるみ好きで、嫁にもう増やすなと言われているほど大量に持っていて、しかもそれぞれ名前も血縁関係も誕生日も設定されているんだとか。ちなみに三十代男性。

 

読み終わった後にお勧めの動画です。将棋の面白さをライトに楽しめるはず。将棋の中身は難しいですけど、わからなくてもきっと面白い。

ちなみに作中のアイドル間のライバル・友人・その他人間関係みたいなものも、狭いプロ棋士界ではよくあることです。そういう話もおいおいしたい。

中断された/でも死んでいない

 

「水は冷たい、薬は苦い、銃は違法、縄は切れる、ガスは臭い。 生きてる方がマシ」

 

そういうわけで『17歳のカルテ』を見たので感想を書こうとしたのですが、どう書けばいいのかなあと思ったまま視聴から丸1日が経過してしまったのでどうしようかなって……。面白かったですけどね。台詞とか相当忘れてるけど頑張ってさらっと感想書きます。じゃあネタバレするから。

 

 

全体として言えば主人公のスザンナ、そしてリサが異常にかわいいということに尽きますね。スザンナのベリーショートにハート打ち抜かれるしリサの不敵な視線は良さの塊ですし。リサにめっちゃ罵られたいですよね。見たら分かる。わかって。

 

17歳のカルテは精神病棟の物語ですから、一見すると暗いシリアスな話が続くようですが、物語の核となる部分はともかく、それをとりまく女の子たちはみんな生き生きとしていて、魅力的なんですよ。だから作品全体も一貫して暗いというわけではありません。ただその明るさは一方では躁みたいで、どこか痛々しい。そういう意味で、八年間も入院していて、病棟で女王のように振舞うリサはそういう意味で作品を象徴する存在として描かれる女の子です。とても明るく、一見すると病気であることを誇りにしているようだけど、実はずっと救いを求めている。

 

 徴兵された人々を「死んだ」と過去形で形容するように、彼女たちは病院を人生の行き止まりとして捉えていて、たとえばリサのディズニーランドでシンデレラになるみたいな言葉のはそういうところから来ています。つまり、自分ではもうどうにもならないから、外部から誰かに救われたいという気持ち。同じように、世界を変えようとしているキング牧師に妙に同情的になっていたりします。

 

スザンナが気づいたことは結局、病気を治すのは自分次第であるってことなんでしょうね。(でも看護婦長が言ったあなたは自分を壊したがってるだけのまともな人ってのは流石に辛辣すぎない?)

 

物語最終盤にスザンナがリサに言った「貴女はもう死んでいるから誰も貴女の背を押そうとしない」というのは死んでいる=行き止まりだと思って何もかも諦めているってことで、リサが私は死んでいないよって返しは病であることを誇っていたリサが、その病と向き合う宣言になっているわけです。

 

人生足踏み状態だけど、それはあくまで中断であって死んでるわけじゃない。

Girl,interruptedという原題に託したテーマはそんなところでしょうか。

 

 

『思春期病棟の少女たち』であったエピソードが微妙に形を変えてきちんと出すのが良かったですね。原作の女の子たちの愛らしさが映像で!みたいな。アイスクリーム屋のナッツいりますか、にnuts(きちがい)だってと一同爆笑する話とか、看護婦のチェックの間にファックできるかって話すエピソードとか。(スザンナは15分チェックで行為が見つかったことがあるそうだ)

 

原作は特別ストーリーがあるというわけではなくって、なんとなく入院してなんとなく退院した感(映画でも治ったって意味が分からないと言っているし、実際そんなものかもしれない)がばしばし伝わってきます。あとリサは文章の感じより映画の方がずっと凶悪な印象でした。最初に言ったけどああいう感じ好きなんですけどね。ちなみに退院後のリサは(ここからは読むとわかる)

 

ブログ道、はじめます。(あるいは友人の話)

本物のインターネット強者になるためにはブログも必要と聞いたので作りました。ちなみにブログ名は「エルロイの長い一日」というゲームのサブタイトルからです。どんなブログにするかは未定です。書きたいことを書きます。書かなくなるかもしれません。何も決めていません。

 

 

さて、ブログを作ったからには少なくとも一つは140字以上書きたいことがあるわけで、それは会えなくなった友人のことなのだけれど、書きたいと思ったのはフォロイーがブログで同じように連絡のつかない友人のことを書いていたからかもしれないし、もしかすると友情を描く映画でもある、「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見たことが影響しているのかもしれません。

 

まあTwitterでも何度かtweetしているのだけれど、私にはニュージーランドに職探しに行くといって連絡が取れなくなった友人がいます。僕が四年制大学で五年目をやっていた頃の話です。

 

 

彼とは三年生でゼミが同じになって、以来まあまあ仲良くやっていた。永遠に続くかのようにモラトリアムをすごしていたように思う。でもモラトリアムは永遠ではなかった。

 

四年生になったころ(一度目の四年生の頃)、僕は単位が全然足らず、彼は就職活動の波に呑まれて溺死寸前だった。結局その波に押し流されるようにして彼は進学を決めた。僕たちはそこそこゼミが合っていて、二人でいるときはだいたい勉強の話をしていたから、なんとなく進学しても大丈夫だろうと思っていた。でもそういう経緯だったから、本当は思うところがあったのかもしれない。

 

僕がもう一度大学四年生をはじめたあとは会う回数が少し減った。僕は就職活動という奴に苦しんでいたし(ちなみに僕は本当に溺死した)、彼は大学院の講義を受けていたし。ゼミももう二人とも行く必要がなくなっていたし。

 

七月頃、彼が突然LINEで通話をかけてきたのだけど僕は携帯を持っていなくって取ることが出来なかった。次の日くらいにはアカウントが消えていて、何かあったのかなと心配した。メールも電話も通じなくなった。彼はわりとfacebookでたくさん活動していたから、facebookのアカウントを持っていなかったことを凄く後悔したことを今も覚えている。それ以来連絡はない。

 

ニュージーランドに職探しに行く」といって消えたという話は九月頃にゼミの先生から聞いた。ちょっと怒っていたような気がする。まあ大学院はどうすんだという話だし、それが当然の反応なんだろう。僕はただ驚いた。

 

 

僕の人生は超悲惨って感じですから、そうやって大胆なリセットできたら変わるのかなあと思うことがあります。でもできないだろうなとも思います。だって、Twitterのアカウントを消すことですら躊躇する人間が、あらゆる縁を断ち切って、ほとんどゼロからスタートできるわけありませんからね。しかもそれって人生賭けた大博打じゃあないですか。そういうのを人は無謀と呼ぶのかもしれないけれど、過接続になれてしまった僕は素直に凄い勇気だなあと思ってしまうわけです。逐電したことをちょっと怒ってもいるけども。

 

息災でいるだろうか。かつて併走した二つの人生(その二、三年間だけを見ても二人の人生はモーターサイクル・ダイアリーズバイク、ポデローサ号並みにボロボロだったけれど)が、いつかまた交差する日はくるんだろうか。

 

そういうことをたまに考えます。そのときは、何の話をしようか。